「謎の人工洞窟」
高松港沖4kmの海上に浮かぶ周囲9kmの南北に細長い女木島(めぎじま)。この島は高松市民からは「鬼が島」の愛称で親しまれている。もちろん桃太郎が征伐した鬼が島のことである。しかし、この島が「鬼が島」になったのは昭和のこと、鬼無の桃太郎伝説(81番参照)との関連というよりも、当初、観光目的で岡山の桃太郎伝説に便乗していたふしもある(笑)。 そもそも「鬼が島」の由来となったのは島の北側の峰の鷲ヶ峰(188m)の山頂付近の花崗岩地帯の中で長さ450m広さ4000uの人工の大洞窟が発見されてからのこと。香川県の郷土史家の橋本仙太郎氏が大正3年にこの洞窟を発見し、昭和6年には早くも一般公開されて観光地となった。そこから香川の鬼が島伝説が始まったのである。 この洞窟、一説には弥生時代の住居跡(近辺で弥生式時が出土している)とか、海賊のアジト(昭和17年に古銭が発見されている)であったとか、巷では諸説紛々である。しかし問題は、これだけ多くの観光客を呼び込んではいるものの、この洞窟、いつ誰がなんのためにつくったのかが未だに不明、というよりも桃太郎にあやかった観光が先に走ってしまい(苦笑)、発見より100年の間、そのことについてはよく検証されていないということである。そもそも女木島は江戸時代は幕府の直轄地であったにも関わらず、こんなに大規模な人工洞窟についての資料等は何ひとつ残っていない。ましてや、遊びや思いつきで造れる代物ではない。良く考えたら世界に通用する本当のミステリーである。 女木島に関する県外各地の言い伝えでは藤原純友がこの島に財宝を隠したとか、江戸時代に密貿易で処刑された博多の豪商伊藤小左衛門の財宝が眠っているとかの噂もあるが、無責任にこの洞窟だと決めつけてはそれこそ鬼が島の二の舞である(笑)。最後の最後になって初めて埋蔵金の話になったのであるが、それだけ女木島が鬼が島の印象に引きずられてしまった島であるということである。いろんな意味で(笑)。
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「女木港フェリー乗り場。1日6便のフェリーで高松港と結ばれている。」
女木港フェリー乗り場。1日6便のフェリーで高松港と結ばれている。
「島の南部の尾根から見る鷲ヶ峰。建物のあたりが鬼が島洞窟である。」
島の南部の尾根から見る鷲ヶ峰。建物のあたりが鬼が島洞窟である。
「鬼が島洞窟の入り口。実は謎多き古代の遺物にも関わらず「鬼が島です。」と断定されてしまっている(笑)。」
鬼が島洞窟の入り口。実は謎多き古代の遺物にも関わらず「鬼が島です。」と断定されてしまっている(笑)。
「洞窟内部は広く大人でも楽々立って回遊できる。完全に人工物である。紀元前100年あたりにつくられたといわれているが科学的根拠は無い。」
洞窟内部は広く大人でも楽々立って回遊できる。完全に人工物である。紀元前100年あたりにつくられたといわれているが科学的根拠は無い。
「あ、これは埋蔵金は無いな・・・と思わせる洞窟内部のモニュメント(笑)。」
あ、これは埋蔵金は無いな・・・と思わせる洞窟内部のモニュメント(笑)。
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