「新羅三郎伝説」
源義光は、後に鎌倉幕府を開いた源頼朝や室町幕府を開いた足利尊氏の祖として英雄譚を数多く持つ源八幡太郎義家の実弟であり、後三年の役で活躍した新羅三郎(しんらさぶろう)義光として有名な平安時代の武将である。この義光(またはその祖)が開いたのが「海正八幡神社」といわれている。阿波では珍しい「けんかだんじり」の神社でもある。 この八幡神社に残る伝説とは、「その昔、新羅三郎義光がこの地に来た時のこと、金銀財宝、武具、刀剣を石びつに納めてここの地中深く埋め、『この上に八間四方の堂を建てて冥福を祈る者は、富貴にしてやる』といい残した」というものである。今から約千年前の話である。 八幡神社の由緒によると、神社は元はこの地ではなく、ここより1キロほど北の津の峰山の麓の東福寺裏の鎮ヶ峰(鎮ヶ森)にあったということである。東福寺は郊外の閑静な寺院であるが、裏山は阿波の霊山のひとつ津乃峰山の山塊の一部である。
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「今は橘湾の海辺に建つ海正八幡神社」
今は橘湾の海辺に建つ海正八幡神社
「本殿」
本殿
「神社の由緒書き。1024年に清和源氏新羅三郎義光の名が見える。」
神社の由緒書き。1024年に清和源氏新羅三郎義光の名が見える。
「移築前の神社があった付近とされる東福寺」
移築前の神社があった付近とされる東福寺
「東福寺裏の鎮ヶ峰(鎮ヶ森)」
東福寺裏の鎮ヶ峰(鎮ヶ森)
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