「安徳天皇かキリストか?」
栗枝渡八幡神社というのが正式な名称である。栗枝渡(くりすど)というのは神社があるこの地区の地名である。 前の9番札所から続くように、四国では「安徳天皇潜幸説」なる伝説(ある意味では学説である)が広く信じられている。1185年2月、治承・寿永の乱の屋島の戦いで源氏に敗れた平氏は最期の決戦の地である山口県壇ノ浦へと敗走したが、この際に平氏とともに都落ちしていた第81代の安徳天皇(当時7歳)は、壇ノ浦へは影武者を向かわせ、本人は平氏の一団とともに三種の神器とともに密かに四国山中へと逃れた・・・という説である。 吉野川から山を越えて祖谷に入り、剣山に草薙の剣を納めた帰りに祖谷川を渡ろうとして付近の栗の木の倒木を川に渡して橋がわりにしたことから、もともとの地名であった「栗須戸」を「栗枝渡」の表記に改めたと伝えられている。1186年、安徳天皇はこの地で病で崩御され、この神社で御火葬に清め奉られたという。四国でもこのエリアは冬になると雪に閉ざされて国道が冬季通行止めになるのであるが、なぜかこの神社にだけは雪が積もらないという言い伝えがある。火葬を執り行った場所の裏山は人が立ち入ってはいけない場所として注連縄が張られているので、埋蔵物を探す輩は皆無である。 帝が剣を埋められたことでその名がついたといわれる剣山には、11番札所で説明するように「ソロモン王の秘宝埋蔵伝説」も伝わっており、その影響か、いつしかこの神社も「くりすど」⇒「クリスト」⇒「キリスト神社」と呼ぶものが出てきているが、その根拠は今のところ、一切 無いので誰か見つけてくれ(笑)。
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「東祖谷村の国道から急斜面を車で15分ほど登った集落に在る。近くに大きな一枚岩の巨石が残る。」
東祖谷村の国道から急斜面を車で15分ほど登った集落に在る。近くに大きな一枚岩の巨石が残る。
「神社入り口。ここから明らかに空気が変わる。」
神社入り口。ここから明らかに空気が変わる。
「神社正面。地元の人たちによって綺麗に清掃されている。」
神社正面。地元の人たちによって綺麗に清掃されている。
「本殿の隣にある地元三好市指定文化財となっている安徳天皇御火葬場跡。ここから先は立ち入り禁止。」
本殿の隣にある地元三好市指定文化財となっている安徳天皇御火葬場跡。ここから先は立ち入り禁止。
「毎年、秋には例祭が行われる。その際の御輿が納戸に納められている。」
毎年、秋には例祭が行われる。その際の御輿が納戸に納められている。
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