「村上水軍の呪い」
船乗りの学校である弓削商船高専で有名な弓削島は芸予諸島の上島町の中心となる島である。鎌倉時代より塩を献上する荘園として歴史に名を残す島でもある。よく日本のラスプーチン「弓削の道教」の生まれ故郷と勘違いされるようであるが、まったくなんの関係もない。その昔、蘇我氏との戦いに敗れた物部氏の一族の弓削氏がこの島に移り住んだことが島名の由来らしい。 この島には能島村上水軍の雄、村上武吉の家臣であった三瀬家と産山家が水軍の財宝を守るために移り住んだといわれている。両家には「出没不常処○○産山守主」「坤離之間三瀬○○守之」という守り札が残り、この意味は「南南西の方向の現れたり消えたりするところ」ということであるとされた。 明治維新直前の1867年に両家の三瀬角左衛門と産山覚兵衛およびその三瀬の久蔵の3人が弓削島の南海岸に浮かぶ小さな無人島である「みつうみ島」に満潮時には水没し干潮時には現れる海蝕洞を発見。奥の壁を崩すと竪穴が現れ降りると鉄の箱があり、中には金の延べ棒、砂金袋、金銀細工物、黄金太刀等の財宝が納められていたという。 3人は財宝を引き上げ換金のため海路大阪に向かうも、途中で仲たがいを起こして覚兵衛は死亡し財宝は海中に没した。残った二人は弓削島に戻ったが、後日、久蔵が行方知らずとなり、問題の洞窟で亡骸で発見されたという。最後の一人である角左衛門はこの一連の事件を祟りと恐れて島を捨てて何処かへ移り住んだというのが話の結末である。 この「みつうみ島」なる島は地図には無く、現地の海域にもそれらしいものはない。弓削島の南西5キロには今も無人に近い豊島がある。その先さらに5キロには高井神島、そのまた先には魚島があるが離れすぎであろう。また真南には10キロ余りに別子で産出した銅の精錬所として有名な四阪島(家ノ島、美濃島、明神島、鼠島、梶島の総称 現在はすべて住友金属鉱業の所有)があるが、これも距離がありすぎる。そもそも「みつうみ島」は、「三瀬」と「産山」の両家の頭の文字をとると「みつうみ」と読めるものとされるが、弓削島には島の最高峰325mの三山という山があり、これも読み方によっては・・・? 発見した黄金にまつわる人間が次々と落命するこの話は、いわば、瀬戸内版「ツタンカーメンの呪い」であろうか?
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「弓削島を南方より。小島らしきものは見当たらない。」
弓削島を南方より。小島らしきものは見当たらない。
「弓削島南西に浮かぶ豊島(とよしま)。一世帯のみ在住。幕末期まで無人島であった。」
弓削島南西に浮かぶ豊島(とよしま)。一世帯のみ在住。幕末期まで無人島であった。
「豊島より南西の高井神島(たかいかみしま)。瀬戸内海航路の拠点である高井神島灯台を有する。」
豊島より南西の高井神島(たかいかみしま)。瀬戸内海航路の拠点である高井神島灯台を有する。
「弓削島からはるか南方に見える銅精錬の四阪島」
弓削島からはるか南方に見える銅精錬の四阪島
「南からの弓削島全景。右に見える最高峰が三山である。」
南からの弓削島全景。右に見える最高峰が三山である。
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