「ここにも来ていた安徳天皇」
四国各地には御在所山が3座あり、24番の高知県香美市の御在所山はともかく、ここから15キロ南東の鬼北町との境にも同じ名前の山(915m)があるので間違いそうである。24番に見るように「御在所」とは天皇の在所があったという意味であるる。 土佐清水市の40番札所でも説明したように四国の安徳天皇伝説は大きく分けて2ルートある。こちらの伝説は、安徳天皇を擁する平家の落人の一団は、屋島ではなく下関壇ノ浦から海路を経て逃れてきたという説である。 この御在所山の伝説では、一行は長浜に上陸した後に肱川を遡って肱川町大谷地区に安住の地を構えたが、弓で名高い那須与一が討伐隊として迫ったために更に奥地の白石に隠れるとともに、南の山に平家の守護神を祭って財宝も埋めた。それ以来、その山は御在所山と呼ばれるようになったという。 そののち彼らが何処に向かったのかは不明であるが、近くにある鬼北の御在所山には、そこで平家落人が3方に散ったという言い伝えがあるので可能性は強い。そしてその鬼北町御在所山から30キロ北東には、別ルートの別枝都安徳天皇陵墓伝承地(38番)があるので、そちらとの関連性も否めない。 果たして四国を彷徨う安徳天皇が何人いたのか(笑)は、今となっては知る由もないが、弘法大師同様に至るところに足跡(?)を残されているので、大師同様、かなりの健脚だったことは確かである(再笑)。
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「標高669mの御在所山。中腹までは自動車で登ることができる里山である。」
標高669mの御在所山。中腹までは自動車で登ることができる里山である。
「カルスト地形として有名な山(四国カルストはここから30キロ東方)なので登山道も整備されている。」
カルスト地形として有名な山(四国カルストはここから30キロ東方)なので登山道も整備されている。
「山頂付近の平家神社。このあたりに財宝を埋めたとの言い伝えが残っている。」
山頂付近の平家神社。このあたりに財宝を埋めたとの言い伝えが残っている。
「平家神社の祠を正面右方向から。」
平家神社の祠を正面右方向から。
「山の麓の大谷にある轟八大龍王大神。滝壺に住む龍を祀っている。旱魃の際には雨をもたらすといわれる。」
山の麓の大谷にある轟八大龍王大神。滝壺に住む龍を祀っている。旱魃の際には雨をもたらすといわれる。
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