「天皇のお墓があちこちに4つもある地区」
安徳天皇四国潜幸説では、祖谷に潜んだ平家と安徳天皇の一行は(9番10番12番13番参照)、さらに源氏の追っ手を逃れるため剣山を越えて土佐の物部に移ったとされる。一行はこののち本山町から仁淀川町を経て越知町横倉山に入るのであるが、この物部地区に伝わる伝説では天皇はここで崩御されたということになっている。 中でも御在所山や隣の久保韮山には天皇が御在所を構えられたという言い伝えが残り、御在所山頂に鎮座する韮生山祇神社は天皇と平教盛を合祀していることからこの神社が二人の墓ではないかという地の話がある。 また、御所山より奥の「高板山(こうのいたやま)」は「皇の居た山」という隠し言葉として名づけられたという微妙な話がある山であるが、この山の二ノ森にも御陵墓の言い伝えがある。同様に、阿佐の栗枝・宮の奈路にも地元には陵墓の伝説が残る。いわば「我が村こそは御陵墓」の名乗りあいである。四国の各地には、安徳天皇の足跡(らしきもの)とともに陵墓跡もあちこちに散在しているのであるが、ひとつの地区の中で、お墓が4つもあるのはのはここだけである(笑)。 最近になって物部では、天皇が建礼門院から形見として受け取った簪、幼き天皇の着衣、天皇の紋章入りの鏡、天皇の愛馬の轡(くつわ)と手綱から、さらには平家物語きってのイケメンとされる平維盛(これもり)の墓(!)・・・まで、見つかっており、これからもまだまだたくさんの宝物(らしきもの)発見の可能性を匂わせているので、みんな急げ(笑)。
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「標高1079mの御在所山はその名の通り「御在所」(天皇が一時滞在して場所)である。同様な地名は四国全土に点在している。」
標高1079mの御在所山はその名の通り「御在所」(天皇が一時滞在して場所)である。同様な地名は四国全土に点在している。
「御在所山中腹にある韮生山祇神社登山口鳥居前広場 ここまでは車道がある。」
御在所山中腹にある韮生山祇神社登山口鳥居前広場 ここまでは車道がある。
「この急峻で果てしなく続く石段を登ると1時間強で本殿。健脚の人でなければ危険な箇所も。」
この急峻で果てしなく続く石段を登ると1時間強で本殿。健脚の人でなければ危険な箇所も。
「少し前までは高知県内でも秘境のひとつであった。ここいらの方言は土佐弁とは違った京都風のイントネーションである・・・と地元の人はちょっと自慢げに言っている(笑)。」
少し前までは高知県内でも秘境のひとつであった。ここいらの方言は土佐弁とは違った京都風のイントネーションである・・・と地元の人はちょっと自慢げに言っている(笑)。
「さらに奥には高板山。1427mの信仰の山であり、ここにも天皇陵墓の伝説が残っている。」
さらに奥には高板山。1427mの信仰の山であり、ここにも天皇陵墓の伝説が残っている。
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