「海の中の小判」
晴れた日には紀州が見える四国最東端の地である。沖合いにある伊島との間の海域は岩礁が多数あり、地陽流も速く、昔から海難事故も多発していたようだ。 大正14年、椿泊の沖合でアワビ取りの漁師が岩場に挟まっていた小判一枚を拾ったことを発端に次々と金が引き上げられ、最終的には30枚前後の小判と金の延べ板などが発見されたという。沈没した長曽我部氏か土佐藩のご用船の忘れ形見かと噂になったようだ。 戦後の昭和20年代にも同じ海域から小判発見が発見された。蒲生田岬の「銭碆(ぜにばえ)」という暗礁である。「銭碆」は「かじとり碆」「なかの碆」とも呼ばれ、現在では海面下に沈んでいる。このときに発見された金の延べ棒は、鉛で表面がコーティングされた棒状の黄金で、表に「宝」と彫られていたという。さすがにこうなると地元も黙っていられず、昭和30年代にはその周辺を機械で掘削してはという案も持ち上がったようであるが、その後、今にいたるまで約70年にわたって財宝らしきものが発見されたという話はない。海底の泥に埋もれているのか?あるいは潮流に流されて移動したのか?それとも全部攫われてしまったのか? 現在は、磯釣り、舟釣りのメッカとして、海上に停泊しているレジャーボートもたくさん見かけるが、今となっては誰かさんが外道を引っ掛けることを待つしかない(笑)。
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「椿泊の町並み、背の高い自家用車は幅、高さとも通れない。」
椿泊の町並み、背の高い自家用車は幅、高さとも通れない。
「椿泊の最東端のひうち岬。蒲生田岬半島の海に突き出た二つの岬の北側の岬である。見えているのは舞子島。」
椿泊の最東端のひうち岬。蒲生田岬半島の海に突き出た二つの岬の北側の岬である。見えているのは舞子島。
「ひうち崎にたつ刈又埼灯台。昭和40年に建てられた。」
ひうち崎にたつ刈又埼灯台。昭和40年に建てられた。
「南側の岬である蒲生田岬に建つ蒲生田岬灯台。大正13年に点灯した四国最東端の灯台である。」
南側の岬である蒲生田岬に建つ蒲生田岬灯台。大正13年に点灯した四国最東端の灯台である。
「蒲生田岬の突端。岩礁だらけである。」
蒲生田岬の突端。岩礁だらけである。
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