「四国の果ての埋蔵金」
室町時代後期の公家であった関白一条教房は、応仁の乱の勃発にともない家領のあった土佐国幡多荘に下向し戦国大名土佐一条氏となった。土佐一条氏は長宗我部氏に滅ぼされるまでの百年間、中村(今の四万十市)を中心に西国や琉球との交易により繁栄を極めたという。その家臣の加久見左衛門(かぐみさえもん)は、土地の豪族ながら一条家の外縁となり今の土佐清水近辺を支配していた。その加久見氏の城に相対する位置にある多倉山なる場所に、一条家滅亡の際の再興軍資金があるとの情報をキャッチした。 加久見には隣り合わせで加久見上城跡と加久見城跡が里山として横たわり、その麓に加久見氏居城跡と菩提寺である香佛寺が位置する。このゾーンは土佐清水教育委員会と高知大学教育学部が、あまねく発掘調査を行い、多くの中国製の陶磁器や宋銭が出土している。これは土佐一条氏が中国をはじめとする広い地域と交易を行い集めた財の一部であろう。香佛寺にある五重塔群は一条家を最期まで守り抜いたとされる加久見一族とその家臣団の墓であるという。 ところで肝心の「加久見城に相対する位置にある多倉山」であるが、地図で調べても市役所に問い合わせても、そのような地名は無かった。土佐清水市だけではなく幡多地方に広げて捜してみたがそのようなものは見当たらない。市役所から頂いた発掘資料を宿の布団の中で漫然と眺めていると、加久見城跡と加久見川を挟んで反対側に「宝山」という山がある。「多倉山」=「たくらやま」=「宝山」、そのものずばり灯台下暗しである。ここまできたら教育委員会の次回の発掘を期待しようではないか(笑)。
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「加久見氏の菩提寺である法樹山来迎院香佛寺。上城の山の中腹から掘り出された五輪塔が無数に建てられ家臣団の墓と伝えられる。」
加久見氏の菩提寺である法樹山来迎院香佛寺。上城の山の中腹から掘り出された五輪塔が無数に建てられ家臣団の墓と伝えられる。
「境内にはこちらには加久見左衛門夫妻の墓がある。」
境内にはこちらには加久見左衛門夫妻の墓がある。
「加久見上城跡の山。」
加久見上城跡の山。
「加久見城跡。この麓に香佛寺がある。」
加久見城跡。この麓に香佛寺がある。
「加久見川を挟んで対面に位置する宝山。」
加久見川を挟んで対面に位置する宝山。
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