「幻の南天の花」
ここからしばらくは、芸予諸島しまなみ海道の島々を探訪する。この地域の財宝といえば、ご存知「村上水軍」の宝である。村上水軍は、室町時代初期から戦国時代の末期まで芸予諸島を本拠にして瀬戸内海西域の制海権を掌握していた水軍、いわゆる海賊衆である。当初は、広島の毛利氏に臣従した因島(いんのしま)村上氏、愛媛の河野氏に臣従した来島(くるしま)村上氏、そしてどこにも臣従しない能島村上氏の3勢力からなっていたが、戦国末期には毛利水軍に属して様々な合戦に参加した。1588年、秀吉の海賊禁止令により水軍としてはその歴史を終えたのである。 村上水軍の三家のひとつ、能島水軍は、大島と伯方島の間の宮窪瀬戸にある2.5K平方mの小島である能島に水軍城である能島城を構え、潮の流れの危険なこの海域で行き交う船舶の通行料を徴収したり水先案内をしたりして勢力を拡大した。秀吉との戦いに敗れ海賊行為を止められて能島城は廃城となり、その後の能島は無人島となったが、今に至るまでこの島は能島村上水軍のシンボルである。 この島には、目印として白い南天の木が植えられその下に埋蔵金が眠っているという言い伝えが残っている。南天は四国には広く自生しているポピュラーな立ち木であり初夏に白い花を咲かせる。通航する船からみると時折白い南天の木が見えるのだがその場所に行ってみるとどこにも見当たらないという。今では城跡として史跡指定され整備されているので、みだりに調査することはできないが、この無人の小島の当時の隆盛を髣髴とさせる伝説である。
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「周囲720m、面積2.5K平方mの、一見なんのへんてつもない小島である。」
周囲720m、面積2.5K平方mの、一見なんのへんてつもない小島である。
「周囲は10ノット(時速18k)にも及ぶ激しい潮流で守られている。当時の舟ではかなりの操船技術を要したであろう。」
周囲は10ノット(時速18k)にも及ぶ激しい潮流で守られている。当時の舟ではかなりの操船技術を要したであろう。
「当時の岸壁や城砦跡も再築されている。」
当時の岸壁や城砦跡も再築されている。
「能島城跡。南天は初夏に白い花をつけるので、その季節にならないとわからない。」
能島城跡。南天は初夏に白い花をつけるので、その季節にならないとわからない。
「大島の対岸にある村上水軍博物館。」
大島の対岸にある村上水軍博物館。
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