「大きなねむの木の下で」
西日本一の2000m近い海抜を誇る石鎚連峰を背景に西条市街の南に196mで鎮座する八堂山(はちどうさん)は、西条市民の里山である。昭和の発掘調査で山頂付近に弥生時代の高地性集落の遺跡が発見され、西条市歴史考古館が建設された。 江戸時代初期、肥沃な土地と水に恵まれた西条の地は、このころから既に農作物の生産が盛んであった。この地に住む庄屋の善兵衛は農作業に特に熱心であり、お上の目を盗んで多くの蓄財をなしたとされる。当初は屋敷の下に大判小判の詰まった瓶を隠していたのだが、誰かに発見されることを危惧した善兵衛は、ある日、秘かに八堂山のある地点にすべての瓶を埋めたのである。 いまわの際にこのことを家族に伝えたのであるが、「目印はこうかの木の花が咲く・・・」と口走ったところで息を引き取ってしまった。残された子孫は何代にも渡って、その手掛かりを元に宝を探したが、ついに発見できなかったという。 「こうかの木」とは合歓木(ごうかんぼく)、いわゆるねむの木のことである。ねむの木は日本では本州、四国、九州の雑木林に自生する、夏に放射状に薄紅色の花を咲かせる落葉樹である。大きなものは高さ10mにもなるので、仮に400年も生きながらえているとすれば相当に目につくであろう。ねむの木の葉は日中は開き夜間は閉じる。その花は夕方に開花するとも言われるので、善兵衛の残したキーワードは地点ではなく時刻を表すものかも知れない。
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「加茂川河口方面から見る八堂山(手前の山)」
加茂川河口方面から見る八堂山(手前の山)
「中腹にある考古歴史館。高速道路から見ると宗教団体の施設と見まがう。」
中腹にある考古歴史館。高速道路から見ると宗教団体の施設と見まがう。
「考古歴史館より見る西条市街。向こうには高縄半島と燧灘が見える。」
考古歴史館より見る西条市街。向こうには高縄半島と燧灘が見える。
「山頂にある八堂山遺跡に復元された入母屋竪穴式住居。」
山頂にある八堂山遺跡に復元された入母屋竪穴式住居。
「山頂の休憩所。残念ながら樹木が茂り眺望はいまひとつである。」
山頂の休憩所。残念ながら樹木が茂り眺望はいまひとつである。
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