「土佐藩宝物蔵の夢」
高知市内を東西に流れる鏡川。江戸初期、初代土佐藩主となった山内一豊はこの鏡川本流と支流の間に居城を設け、ふたつの川に挟まれた位置関係から「河中山城」(こうちやまじょう)と名付ける、後にこれが「高知」の名の元になるのである。 よって当時から高知城と鏡川に挟まれた地区は、山内家関係の屋敷が立ち並んでいた。この旅館臨水が建っている土地も山内一豊の邸後で昔は散田屋敷と呼ばれ宝物蔵があった場所である。その屋敷も昭和20年の空襲で消失し、その跡地を旧山内家より譲り受け、この旅館を建築したとのことである。よってその宝物蔵は現存していないし、僅かに宝物が残っていたとしても戦火で焼き払われているのである。しかぁし、昔から「木を隠すのは森の中」、「重要書類はくず箱に隠す」のお約束通り、埋蔵金は敢えて宝物蔵の地下に埋めた例もある。もちろん現在の建物を建てる際に整地をしてはいると思うが、木造二階建てなのでそんなに深くは掘っていないはず。 今となっては調査するわけにもいかないが、そんな想いをはせながらこの旅館で床に就くと、夢枕になにかのお告げがあるかもわからないぞ。すべては夢とロマンである。
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「山内家の屋敷が集まっていた地区に建つ木造の旅館である。」
山内家の屋敷が集まっていた地区に建つ木造の旅館である。
「建物自体は昭和22年に造られた。」
建物自体は昭和22年に造られた。
「面しているのは高知市の中心を流れる鏡川。橋の向こうには高知市街のビル群が見える。」
面しているのは高知市の中心を流れる鏡川。橋の向こうには高知市街のビル群が見える。
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