「裏切りの埋蔵金」
小豆島は瀬戸内海の約3000といわれる島々の中で最大の離島である。(淡路島は古代から南海道としての駅を持つ国内主要交通路であったので、この場合の離島には含んでいない。)そのせいか昔から様々な伝説が散在している。埋蔵金伝説にしても同じ事で、埋める側としても本土ではない交通の不便さ⇒無用の人の行き来の少なさと、自然災害に脅かされない程度の山深さとしても適当な場所であったからだと推定される。 さて、江戸時代初期の三代将軍徳川家光の世に、瀬戸内海では鳴門茂衛門と呼ばれる大物海賊が幅を利かせていたという。海賊禁止令が敷かれて半世紀後のことであるので、よほどの大盗賊であったに違いない。この茂衛門、強奪した財宝を元手として堅気の事業を始めようと目論んでいたらしい。そのためにひとまず貯めた財宝を小豆島の「水神の社」付近のふたつの洞窟に隠したということである。その際、埋蔵金埋設のセオリーとして(笑)、運搬と埋蔵の作業を手伝った手下達を口封じのためになきものにしようとしたが、逆に反乱をおこされ自分のほうが殺害されてしまったのである。因果応報、よくありそうな話である。その後、埋蔵金のありかは二人の手下によって後世に口伝えで残されたという。 明治時代になって、和歌山の質屋からその財宝探索のなりゆきを記した文書が発見された。その記述内容で「水神の社」というキーワードが明らかになるが、それに該当するものは、当時では島内になかったのである。島の人たちが寒霞渓近くにある平家落人の社に目星をつけて調査したところ、ある崖の淵の草むらに、「社」の文字を刻んだ長方形の石を発見した。はたしてその崖下には一体の人骨とと12枚の小判が散乱していたのである。更にその崖の中ほどにある洞窟には、何者かに荒らされた痕跡が見つかったという。 その洞窟は今では明らかにされていないが、それが鳴門茂衛門が宝を隠したふたつの洞窟のひとつであるがどうかは定かではない。もしそうだとすれば、まだ見つかっていないもうひとつの洞窟はどこなのか?もう既に昔の埋蔵金ハンター達に暴かれてしまっているのか?すべての謎を秘めたまま、小豆島最大の名勝寒霞渓には今日も多くの観光客が山歩きに訪れているのである。
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「四方指展望台から見る寒霞渓。奇岩の名所である。」
四方指展望台から見る寒霞渓。奇岩の名所である。
「寒霞渓ロープウェイから見る奇岩の数々。多くの洞窟が見える。」
寒霞渓ロープウェイから見る奇岩の数々。多くの洞窟が見える。
「瀬戸内海最高峰星ヶ城東峰(816m)からの播磨灘の眺め。」
瀬戸内海最高峰星ヶ城東峰(816m)からの播磨灘の眺め。
「裏寒霞渓登山道より幟岩(のぼりいわ)。」
裏寒霞渓登山道より幟岩(のぼりいわ)。
「石門(せきもん)。石洞に造られた寺である。」
石門(せきもん)。石洞に造られた寺である。
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