「桃太郎と金の茶釜」
鬼無という地名は「鬼が無い」と書いて「きなし」と呼ぶ。鬼無は桃太郎伝説が 残る土地である。といっても日本には岡山を初めとして岩手県、東京多摩、山梨県、愛知県、奈良県、沖縄県と全国30箇所に及ぶゆかりの地があるので、あくまでもその中の一説である。 桃太郎伝説はともあれ、この鬼無の歴史の中で大きな存在感を持つのが、地区の里山である勝賀山山頂の勝賀城である。鎌倉時代、1221年の承久の乱の武功でこの地区を拝領した新居氏は香西氏と名を改め勝賀山に要害の城を築き勝賀城と名付けた。室町時代になると香西氏は讃岐国領主である管領細川氏臣下の細川四天王の一角として活躍し、この地も栄えたようだ。しかし各地の他の豪族と同じく、戦国時代の四国の覇者である長宗我部元親の讃岐侵攻に敗れ香西氏は別の城に移されたという。その後、1585年の秀吉の四国征伐により香西氏もその保有する城も廃されたのである。 350年にわたり香西氏の本拠地としてこの地の本陣となった勝賀城は、今に至るまで山頂に土塁や井戸等の遺構を残している。この勝賀城に残る埋蔵金伝説がある。城主である香西氏が城内の井戸跡に金の茶釜を埋めたというものである。黄金の茶釜とはまさか桃太郎の戦利品ではあるまいが、この地区と香西氏がその昔、交易等で栄えていたという証であろう。今では高松市の重要な指定遺跡となった勝賀城跡であるが、これからの発掘調査も茶釜発見を楽しみに楽しくやって頂ければと思う(笑)。
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「鬼無町の観光案内図。桃太郎だらけである(笑)。中央部に勝賀山が位置する。」
鬼無町の観光案内図。桃太郎だらけである(笑)。中央部に勝賀山が位置する。
「南側の登山口から見る勝賀山。なだらかな山に見えるが、いざ登ってみると山城らしく山頂付近は急勾配であるる」
南側の登山口から見る勝賀山。なだらかな山に見えるが、いざ登ってみると山城らしく山頂付近は急勾配であるる
「山頂の祠。あたりは平らな広場となっている。」
山頂の祠。あたりは平らな広場となっている。
「井戸の跡かと思わせるような窪地。」
井戸の跡かと思わせるような窪地。
「山頂からは石清尾(いわせお)山と高松市南西部が一望できる。」
山頂からは石清尾(いわせお)山と高松市南西部が一望できる。
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