「埋蔵金はどっちの城に?」
コトデン岡田駅の南にある城山には、その昔、その名の通り西長尾城という城があった。この城は、南北朝の戦いの折に讃岐の白峰合戦で北朝側の細川頼之が南朝側の細川清氏に勝利した際に中院源少将より明け渡され、その後、合戦の恩賞により詫間の海崎元高に譲られたのである。海崎氏は1368年より西長尾城に入って長尾氏と改名し永くこの地を治めたが、戦国時代の1579年に四国制覇を狙う長宗我部元親に侵攻され籠城戦となった。翌年に和睦が成立して開城し、以降、長宗我部家臣の国吉甚左衛門尉により讃岐攻略の拠点の城となったのである。このことからこの城は国吉城とも呼ばれている。西長尾城はほどなく1585年の秀吉の四国征伐により廃城となる。 この海崎改め長尾氏の長宗我部戦籠城の際にこの城山に長尾家再興の埋蔵金を埋めてたという言い伝えがる。ここで69番札所の海崎城の記事を参照されたい。こちらでも元は海崎氏であった長尾氏が西長尾城で敗走の際に元の居城である海崎城に財宝を埋めたという伝説が残っている。つまり同じ埋蔵金伝説が違う場所に残されているのである。 籠城中によもや敵に明け渡すかもしれない運命の城に埋蔵金を隠すことに疑念もあれば、籠城中に敵の目をかいくぐって約30kmも離れた旧城まで財宝を運搬することにも無理がある。果たしてどちらの埋蔵金説が正しいのか?はたまた埋蔵金は2箇所にあるのか?どっちもデマという選択肢は置いといて(笑)、いずれにしても夢とロマンの謎である。
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「南のまんのう町方向から見る城山。高いほうの峰が西長尾城跡。」
南のまんのう町方向から見る城山。高いほうの峰が西長尾城跡。
「レオマワールド背面の綾歌森林公園より登山道がある。」
レオマワールド背面の綾歌森林公園より登山道がある。
「山頂付近の土塁跡。」
山頂付近の土塁跡。
「山頂本丸跡。平らな広場となっている。」
山頂本丸跡。平らな広場となっている。
「山頂より北西方面を望む。土器側の向こうは丸亀市。その向こうは瀬戸内海塩飽諸島の広島が見える。」
山頂より北西方面を望む。土器側の向こうは丸亀市。その向こうは瀬戸内海塩飽諸島の広島が見える。
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