「浦島太郎は宝をもらっていた」
日本昔話の浦島太郎が広く全国に知られるようになったのは、明治から昭和にかけての尋常小学校国定教科書に収録され、さらに文部省唱歌になってからである。この教科書版浦島太郎は京都府丹後半島の民話から収録されたということであるが、実は日本全国約40箇所に散らばって同様の言い伝えが残っているという。 四国に残る浦島伝説として有名なのが荘内半島の浦島太郎である。いつの頃からの言い伝えかがはっきりしないのであるが、大浜浦,積浦,生里浦,箱浦,香田浦,粟島,志々島を、昔は総称して浦島と呼んでいたらしいので、地名から発生した伝説であるかもしれない。一時は浦島太郎コスプレおじさん(玉手箱開封後モード)によって世の注目を引いた(笑)詫間町であるが、今は太郎に関するいろいろなモニュメントや掲示板も整備され、浦島伝説観光地としての体裁をなしてきつつある。 さて、その浦島太郎であるが、竜宮城への往路はご存知「助けた亀にまたがって」であるが、復路は乙姫様が自ら地上まで送ってきてくれたらしい。彼女に家まで送ってもらうとは情けない奴だが、その際に7つの宝物を持たせてくれたということである。上陸地点は積(つむ)の海岸付近であるということだが、そこから先の玉手箱以外の宝物の行方は、ようとして消息不明である。 とこかに埋め隠したのか?換金して放蕩してしまったのか? 上陸してから玉手箱を開けるまでの3年間といわれる歳月に何があったのかは、また誰かが考えてドラマを造ってくれるであろう。(笑)
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「生里(なまり)の集落。太郎はここで生まれ育ったとされる。」
生里(なまり)の集落。太郎はここで生まれ育ったとされる。
「箱崎の港、太郎はここから竜宮城に旅立った。」
箱崎の港、太郎はここから竜宮城に旅立った。
「積(つむ)の海岸。乙姫は宝とともに太郎をここまで送ってきた。」
積(つむ)の海岸。乙姫は宝とともに太郎をここまで送ってきた。
「箱(はこ)にある太郎と両親の墓。」
箱(はこ)にある太郎と両親の墓。
「三崎灯台から望む備後灘。向こうに見える岡山県六島との間の海峡は瀬戸内海でも屈指の潮の早瀬であり、三崎から200mにある御幸石(おごのいし)の付近は瀬戸内海でも最深の深さである。竜宮城はこのあたりにあったと思われる。」
三崎灯台から望む備後灘。向こうに見える岡山県六島との間の海峡は瀬戸内海でも屈指の潮の早瀬であり、三崎から200mにある御幸石(おごのいし)の付近は瀬戸内海でも最深の深さである。竜宮城はこのあたりにあったと思われる。
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