「霞ヶ関埋蔵金」
かつて東方見聞録で黄金の国ジパングと称された日本であるが、その黄金とは鉱山で採掘される金よりも川で採取される砂金のことであったと思われる。日本には今でも少量ながら砂金が採れる川が各地に多く残っている。ただ生産性があまりにも良くないので商業ベースにはのらず趣味の範囲を超えていない。 銅山川は新居浜市の別子山から四国中央市をへて徳島県三好市で吉野川に合流する。別子の銅山があることから銅山川と呼ばれているが、実は別子銅山は微量ながら年間に金1.7t、銀33tの生産量も誇っていたので、金山川であり銀山川でもあったわけである。事実、この川は古くより砂金取りのメッカでもあった。別子山よりも今の四国中央市の旧新宮村あたりが砂金取りの中心地であったようで、古くは帰化人の秦氏や金集氏により採取され、江戸時代には凶作の年ともなると村の農民達はこぞって川に入り、さながらゴールドラッシュのようであったと伝えられている。魚釣りのような手軽なレジャーでありながら、しっかりと実利にもなる副業であったのであろう。明治後期より砂金にも課税が及ぶようになると、めっきりとその姿は見なくなったということである。下に恐ろしきは人々の欲ではなく、その上前をハネるお上かもしれない(笑)。銅山川の砂金は22金の高純度を誇り、金箔として様々な工芸品に使われていたらしい。 昔から氾濫も多い四国中央市内の銅山川流域には、ご存知霞ヶ関ビルにおわします国土交通省の行政法人水資源機構が管理する「富郷ダム」、「柳瀬ダム」、「新宮ダム」の3ダムが治水や発電のために建設されている。各々の広大なダム湖に水を湛えているので、今となっては川に入って皿で掬うような作業ができる場所は少ない。しかし待てよ、よく考えてみると、これから何百年もの永きに渡って水を堰きとめるこれらのダムの湖底には、それ相応の砂金が少しづつ堆積して行くのではないだろうか。これこそ誰も気がついていない霞ヶ関の埋蔵金である。あ、言っちゃまずかったですか?(笑)
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「新宮町を流れる銅山川」
新宮町を流れる銅山川
「新宮の町にほど近い新宮ダムとダム湖。珍しくダム湖の名前はない。」
新宮の町にほど近い新宮ダムとダム湖。珍しくダム湖の名前はない。
「新宮ダムから上流の柳瀬ダムまでの間の銅山川。なんとなく砂金採りらしい雰囲気である。」
新宮ダムから上流の柳瀬ダムまでの間の銅山川。なんとなく砂金採りらしい雰囲気である。
「柳瀬ダムのダム湖である金砂湖。そのものずばりの名前である。」
柳瀬ダムのダム湖である金砂湖。そのものずばりの名前である。
「四国中央市では最上流の富郷ダムと銅山川。ダム湖から奥は別子である。」
四国中央市では最上流の富郷ダムと銅山川。ダム湖から奥は別子である。
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