「海猫小多八伝説」
複数の古文書によると、江戸時代の文政年間1818年に西国(九州)諸藩の御用船である竜王丸が御用金を積んだまま瀬戸内海で沈没したとされている。その額、小判五千両、金の地金四万五千両、沈没地点は因島から伯方島に渡る海域とされる。 この海域はそう深くはないということで、当時の瀬戸内の漁師間で潜りの名手といわれた淡路島紀淡海峡の由良の成ヶ島を縄張りとする海猫小多八なる人物にサルベージを依頼したが断られたという。しかしこの小多八、表の顔は漁師であるが裏家業は海賊であり、仕事を断りながら情報だけを収集して秘かに引き上げを行ったという噂が残っている。それどころか沈没事故も小多八一味の仕業という俗説まである。彼の根城のあった淡路島由良のあたりには小多八埋蔵金の伝説も残るが、一方また別の伝説では、これほど高額の黄金や小判をはるばる淡路に運ぶことは不可能で、とりあえずこの海域のどこかの島に隠したということである。それを証明するものかどうかは不明であるが、明治26年に佐島で小判3枚と金の延べ棒4本が明治42年に因島近海の海底で小判18枚が発見されている。当の小多八は、その後、京都で自身が使用した小判に御用金の刻印があったかどで捕縛され自害したとされる。 因島と伯方島の間には生口島、岩城島、生名島、弓削島、佐島、赤穂根島、津波島の七島があり、この島々の間は、太鼓より瀬戸内海の重要航路であった。御用船竜王丸と瀬戸内の悪漢海猫小多八の伝説は、今でも日本の埋蔵金諸説のうちのトップクラスのミステリーのひとつである。誰か映画にしてくれい(笑)。
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「紀淡海峡より、海猫小多八の本拠であった淡路島東岸由良の成ヶ島。」
紀淡海峡より、海猫小多八の本拠であった淡路島東岸由良の成ヶ島。
「弓削瀬戸より、右に弓削島、中央遠方に因島、左が佐島」
弓削瀬戸より、右に弓削島、中央遠方に因島、左が佐島
「弓削瀬戸より、生名島、向こうの山は岩城島」
弓削瀬戸より、生名島、向こうの山は岩城島
「伯方島より手前が津波島、右奥が岩城島、左が赤穂根島。」
伯方島より手前が津波島、右奥が岩城島、左が赤穂根島。
「伯方島より生口島」
伯方島より生口島
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