「死ぬまで島民を想った篠塚さん」
魚島は芸予諸島でも最も東の孤島である。燧灘のど真ん中に位置し、晴れた日には香川県の荘内半島が見える。その名の如く燧灘有数の好漁場であるこの離れ小島にも財宝の伝説がある。 太平記によれば、南北朝の時代、南朝の新田義貞の重臣である新田四天王が一人、篠塚伊賀守重広は、北朝方の細川頼春との伊予世田山(今治市)での篭城戦で敗走し「沖ノ島」に敗走してそこに没したとされる。この「沖ノ島」とは因島であるともこの魚島であるともされる。島に伝わる話では、篠塚公の墓地は「篠塚さん」と呼ばれて島の人々の崇敬を集めてきた。篠塚さんは今では篠塚公園となっているが、ここにあった宝篋印塔(重要文化財)が、かつては篠塚公の墓と信じられていたが、それ以前の鎌倉時代建立のものと判明し、今では島の氏神である亀居八幡宮の境内に移設されている。同じような宝塔は群馬県大信寺にもあり、こちらも篠塚公の墓所を名乗っている。 さてその「篠塚さん」。魚島に残る言い伝えでは、篠塚公が「村の財政がきびしくなったらここを掘ると良い」と言い残した場所であるとされる。言い伝えを守ったのかどうか、決して豊かではないこの離島では、何度かこの場所を掘ったようであるが、その度ごとになぜかトラブルが続いたため、いつしか掘り起こそうとする者はいなくなったということである。 しかしてその財宝であるが、南北朝時代にこの海域は能島村上水軍の制海権下にあり、ここに落ち延びた篠塚公も、当然の如く村上水軍とはなんらかの関係を持っていたものと思われることから、元々は水軍の隠し金であるとも噂されている。人の金とはいえ、最期までこの離れ小島を愛しながら世を去った篠塚公と、落人である彼に親愛の念を抱いていた魚島島民の絆を感じさせる伝説である。
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「因島から1日4便1時間の魚島航路から見る魚島。」
因島から1日4便1時間の魚島航路から見る魚島。
「魚島港。後方の丘が篠塚公園である。」
魚島港。後方の丘が篠塚公園である。
「魚島の氏神、亀居八幡神社の境内に建つ宝篋印塔。かつては篠塚公園にあったものを移設した。篠塚公の墓と思われていたが実際は鎌倉時代の物。」
魚島の氏神、亀居八幡神社の境内に建つ宝篋印塔。かつては篠塚公園にあったものを移設した。篠塚公の墓と思われていたが実際は鎌倉時代の物。
「篠塚公園(篠塚さん)にある篠塚伊賀守の墓所の碑。」
篠塚公園(篠塚さん)にある篠塚伊賀守の墓所の碑。
「島の景勝地。城山展望台から東方の江ノ島を望む。江ノ島の後方10キロは香川県観音寺市伊吹島。」
島の景勝地。城山展望台から東方の江ノ島を望む。江ノ島の後方10キロは香川県観音寺市伊吹島。
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