「忽那水軍の埋蔵金」
松山市沖15キロに浮かぶ忽那(くつな)諸島は、中島本島を中心とする有人島8島と無人島22島で構成される、柑橘類と漁業で生きる島々である。ここは平安時代から戦国時代に至るまでの間、忽那水軍を擁した忽那氏の本拠であった。 その本島である中島の北部に位置する泰ノ山(たいのやま)には、1189年、忽那兼平によって秦山城(たいのやまじょう)が築城された。その後の南北朝の戦いでも瀬戸内海西部を、斎灘、安芸灘、伊予灘の3つに分ける戦略的要害の地として忽那水軍の拠点となったのである。その秦山城も、1585年、豊臣秀吉の四国平定の際に、小早川隆景に攻め落とされたのである。 その落城の際に城方が財宝を城中に埋めたとの言い伝えが残っている。別に「朝日さす夕日の照らす榎木の下に金一貫五百匁」という書き付けも発見されている。前半の「朝日さす夕日の照らす」はおなじみの埋蔵金の枕詞である。「金一貫五百匁」は今の度量衡に直すと、5キロと625グラムとなる。また、匁は銀の単位であり60匁が小判1両であるので、小判に換算すると約94枚。水軍が隠した財宝としてはチンケすぎやしないか?しかし日本の度量衡の統一は落城の約100年後なのでなんともいえないが。いずれにしても忽那水軍の財宝とこの書付が関連するものであるかは不明である。 中島はみかんづくりに最適の土壌と気候で、この島ではすべての種類の柑橘物が栽培可能といわれている。山の半分がみかん畑となった泰ノ山。もう既に宝の山になっているのかも知れない。
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「中島本島大浦港の後ろにそびえる泰ノ山289m」
中島本島大浦港の後ろにそびえる泰ノ山289m
「山頂近くの泰ノ山城跡より、忽那諸島の中心である大浦港を望む」
山頂近くの泰ノ山城跡より、忽那諸島の中心である大浦港を望む
「泰ノ山山頂。山頂近くまでみかん畑となっている。」
泰ノ山山頂。山頂近くまでみかん畑となっている。
「城跡からは広島県の江田島方面まで見渡せる。」
城跡からは広島県の江田島方面まで見渡せる。
「忽那航路の基点である高浜港から見る四十島(しじゅうしま)。夏目漱石の小説「坊ちゃん」で赤シャツと野だいことが「ターナー島」と勝手に名付けた島である。」
忽那航路の基点である高浜港から見る四十島(しじゅうしま)。夏目漱石の小説「坊ちゃん」で赤シャツと野だいことが「ターナー島」と勝手に名付けた島である。
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