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「おのごろ脱糞伝説」
   四国の最西端佐田岬から15キロほどの佐田岬半島の北岸の入り江に釜木という部落がある。ここにはその昔、海賊おのごろが49個の壺に分けて入れた小判が眠っているという伝説があるようだ。  おのごろが捕まり処刑される際に、謎の言葉を言い残した。「釜木の奥のおのごろ的立畑の向ぐらい木を植えてくそたれた、むくのこらげにしりのごた、いらば掘って取らしゃれ」意訳すると「釜木地区の奥にある【おのごろ的立畑】の向こう側に木を植えて脱糞した。【むくのこらげ】で尻を拭った。欲しかったら掘ってとっていらっしゃい。」となる。まるで人をからかったような台詞である。  【むくのこらげ】とは無地の着物の帯のことだろうか?もしくは小判のことか?海風直撃の山で昔の着物の切れ端が今も残っているはずもなく、とすれば問題は【おのごろ的立畑】なるものであるが、これがさっぱりわからない。  「おのごろ」という言葉で思い出すのは、国生み神話でイザナギノミコト・イザナミノミコトがつくり出した最初の島である。淡路島もしくは淡路島近くの小島とされるが、意味的に何か関係があるのだろうか。  こうなれば、このあたりの山を片っ端から掘り起こすしかないのか。さもなくば、半ば化石化してしまっているであろう、おのごろ親分のう●こを手がかりとするしかないが、あまりにも情けない。人をからかったヒントを残した海賊の思うつぼである。
 
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「佐田三崎半島北岸のこの入り江周辺が釜木である」 
佐田三崎半島北岸のこの入り江周辺が釜木である 
 
 
 
「釜木の部落を東から西に見る。」 
釜木の部落を東から西に見る。 
 
 
 
「釜木の部落から南を見る。」 
釜木の部落から南を見る。 
 
 
 
「釜木集落を西から東に見る。」 
釜木集落を西から東に見る。 
 
 
 
「四国最西端佐田岬。海の向こうに見えているのは九州大分県の佐賀関である。」 
四国最西端佐田岬。海の向こうに見えているのは九州大分県の佐賀関である。 
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