「佐田岬平家伝説」
一説に、下関の壇ノ浦を秘かに逃れた安徳天皇一行は、佐多岬半島の付け根の伊方町伊方越鯛の浦に流れ着いたとされる(47番参照)。平家落人はここから四国山中に逃れるのであるが、安徳天皇は既に船中で崩御されており、玉体は伊方越を越えた河内の森で埋葬されたという伝説がある。 河内の八坂神社は伊方の町の裏山に鎮座する古い神社である。元々、地方に残る「河内」の地名も「八坂神社」も平家落人と関連性の濃いキーワードである。この河内の八坂神社名は最近になって名づけられたようで、地元の人の中には今でも「天皇さん」と呼ぶ方がいるようだ。また河内の森も「皇子ヶ森」、山そのものも「天皇山」という名で親しまれていたようである。また近辺には「源氏ヶ崖」、「平家崖」、「戦場坂」、「勝負ヶ崎」、「赤ハタ」という源平を想起させる地名が残っていたということである。 また、八坂神社から5キロほど西の『町見郷土館』の裏山にある旧加周峠には、平家の落人の見張り場所とも伝えられる「のぞき岩」という穴の開いた岩がある。のぞき岩の周辺には、畳6枚敷程の平石を敷いた所が二ヶ所あるという。そこは「平家さま」と呼ばれる昔から財宝の隠し場所とも伝えられているが、祟りを恐れて平石を開けた者はいないという噂が伝えられている。 四国の西端の地である伊方町は、近年、佐田岬メロディラインドライブウェイが建設されて風光明媚な観光地となっているが、今でも昔からの文化や言い伝えが数多く残されている地域でもある。
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「平家滅亡の地とされる下関壇ノ浦古戦場。関門大橋の向こうあたりの海域である。」
平家滅亡の地とされる下関壇ノ浦古戦場。関門大橋の向こうあたりの海域である。
「伊方町にある八坂神社の山道。住宅地の裏山ながら来訪者には非常にわかりづらい場所にある。」
伊方町にある八坂神社の山道。住宅地の裏山ながら来訪者には非常にわかりづらい場所にある。
「鳥居横の「安徳天皇ゆかりの地」の碑。昭和60年につくられている。」
鳥居横の「安徳天皇ゆかりの地」の碑。昭和60年につくられている。
「加周の港より加周峠付近を望む」
加周の港より加周峠付近を望む
「のぞき岩は藪に包まれて到達不能。」
のぞき岩は藪に包まれて到達不能。
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