「霊峰稲叢山」
稲叢山は高知県のいの町と土佐町にまたがる1506mの名山である。随所に切り立った急峻な絶壁を持ち別名「鬼城山」と呼ばれるほどに人を寄せつけない山であるとともに最近まで女人禁制の霊峰でもあった。中腹に稲叢ダムが建設された近年になって、初めて山頂への登山道が整備されたのである。 ここは祖谷から物部を経て吉野川を遡り、宮古野からより深山に分け入ろうとしていた安徳天皇と平家の落人の一行が、立ち寄った山という伝説が残る。食糧に乏しい天皇がこの地の豊饒を祈るために「稲叢山(稲が茂る山)」と命名したという俗説もある。山頂にはその昔、安徳天皇を祀る稲叢神社があったがその後に移設され、本川村戸中の神社に合祀されているという。 山頂に続く3つの登山道のひとつの洞窟コースを辿ると、途中に「伝説の洞窟」なる岩場がある。ここは源氏の追っ手を逃れた平家の落人56名が右神、左神の二つの洞窟に立てこもった跡であり、言い伝えによると食糧が尽きて全員が壮絶な最期を遂げた場所であるということだ。 安徳天皇と直接に結びつくものかどうかは別としても、平家落人伝説の山であることは疑いない。数々の遍路伝説にしても然り、四国山地は忘れられた悲しい歴史を湛えた土地である。
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「山頂の祠。この付近には昔、稲叢神社があり安徳天皇を祀っていたという。」
山頂の祠。この付近には昔、稲叢神社があり安徳天皇を祀っていたという。
「山頂付近からは別子方面の平家平(へいけだいら)。こちらも平家伝説の土地であり毎年6月に紅白の幟を立てる風習が残る。」
山頂付近からは別子方面の平家平(へいけだいら)。こちらも平家伝説の土地であり毎年6月に紅白の幟を立てる風習が残る。
「登山道の途中にある伝説の洞窟」
登山道の途中にある伝説の洞窟
「伝説の洞窟の鎖場」
伝説の洞窟の鎖場
「伝説の洞窟正面。5つの洞穴がある。」
伝説の洞窟正面。5つの洞穴がある。
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